世間話なブログ

身勝手は繁栄しない。わが身を滅ぼすと言う、昔の迷信のような出来事を目の前で沢山見てきちゃったよ。

【安楽死と呼ぶ前に】瞳が選ぶ「しにたい」の意味 ALS患者の生きざま、悲劇でもキラキラでもなく(

安楽死と呼ぶ前に】瞳が選ぶ「しにたい」の意味 ALS患者の生きざま、悲劇でもキラキラでもなく(京都新聞) https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210315-00010000-kytg-soci 

 

 

 

 

私、気持ちわかります

 

神経系のジストロフィーを未成年時代に患いました

 

今は、生活は何とか出来ていますが後遺症はあります

 

でも、障害者認定には至らないけど

健常者と同じレベルだと疼痛などもあり厳しい部分もあります

 

 

それでも障害者認定には至らないので

健常者と同じ、またはその3倍、5倍の労力で生きています

 

 ジストロフィーが顕著で進行性で、歩くこともままならなかった時に

 

義務教育しか知らないまま、死ぬ訳にはいかないと

頑張ったけど

 

 

社会に出ると、健康な人以外は必要とされない

税金を納めなくては自立してない

言ってることと、やってる事が、あまりにも激しすぎた社会。

 

そんなこんなで、槍の降り注ぐ嵐の中を生きてきました。

 

意思や意識はしっかりしてるし、考えも脳内には沢山あるのに

体が全く言うとを聞いてくれない。

 

 

健康な人に助けを求める時は、100倍気を遣って

お願いしないと角が立つ。

健康な人は、その辺の苦労がない分幼稚な人が多いと言う未成年の頃の私の印象。

 

それは、今も変わりません。

 

今の日本は、弱者(QOLに影響するような後遺症や病)には辛辣で生きる価値もないと

感じられるような瞬間が山ほどある。

 

 

その中で、自分の体の辛さ

私はそれに加え、重症な喘息を隣近所からの受動喫煙で発症した喘息。

 

喘息の呼吸困難よりも、他の嫌なことよりも

子供の頃の壮絶な転校先でのイジメよりも

ほかの何よりも

 今までの人生で1番辛かったことは何?と聞かれたら

 

 

体があるのに、ジストロフィーで自分の脳内と心とは

別の肉体の不自由さ

 

人に頼まなければ何も出来ない

頼んだところで通じない

通じたところで、すぐにはして貰えないので

 

 

2時間、半日、数日待つことの苦しさ

忍耐、修行に近いですね

悟りの境地に入りましたから。未成年で。

 

 

また、このような経験を重ねていくことで

健康な人の横柄さや、浅はかさ、心ない身勝手な人が増え続けていることへの複雑な心境

 

 

ここには、上手く書ききれないほどの辛さがある。

 

 

今も不自由なこともあり、身勝手な大人たちや

そんな大人に育てられている子供の言動など

様々なことがあると

やはり、し★にたい気持ちというのは

ゼロではないです。

 

日本の終わりを感じることも子供の頃からありますし

むしろ、その部分は顕著になってきているように思います。

 

レベルの低い人間が蔓延って、正義感を振りかざして生きていける国は

裕福でいい国とは言えません。

 

 

特に、私の住んでる地域はレベルも低く

受動喫煙や香害と言われる柔軟剤や騒音に虐待など

身勝手で悪質だと行政機関、警察や消防も手を焼くような

DQN系の輩が多いですから

 

平穏な、嫌がらせを受けない暮らしもありません

(いずれは、持ち家手放し引っ越す予定)

 

 

私は筋ジストロフィーの方を病院で見かけたり

転校前には、すぐ横に養護学校があり

 

そこで、お手伝いに行ったりしてきたり

自分の過去の壮絶な闘病生活もあり

 

気持ちは、分かりすぎるほど分かるとこの事件や

この方の記事を読んで思った次第です。

 

 

私がここまで生きてこれたのは

戦争経験者である祖父の存在があったからに尽きます。

 

 

今、同じような苦労を伴って

話が合う相手というのはいません

 

親の世代、祖父母世代ですらも

かなり自分勝手な思考の人が多いです

 

 

自分勝手な思考や身勝手と言うのは

国を滅ぼしますから、いい傾向とは言えません。

 

 

災害が増えているのには、身勝手になりすぎた

日本人への警告だと私は受け止めています。

 

 

日本は昔から災害大国です

 

深く付き合うことはしなくとも

自己主張だけを繰り返すような生き方は改めて

災害の際には、お互いに気持ちを寄せ合い

生き抜いていくことが、必要不可欠だと思います

 

 

怪我や病気でも同じことだと思っています。

 

 

建物や機械などのハード面は進化していくと思いますが

 

それ以上に人と人のお互いの在り方を考えなければならないと

未成年の頃から課題として今も生きています。

 

 

安楽死についても、考えなくてはならないものであるのか?という課題も、闘病生活時代から

ずっと思考を巡らせています。

 

 

1人1人が、小さなことを明日は我が身と受け止め

考えることが大切だと思います。